こゆくゆるい日々
<< April 2012 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>

    螺旋階段 ...

 

気持ちの整理が出来ると、身体を動かすのが気持ち好い。
朝からお掃除に励み、
分別していた月曜日の分のゴミを出しにゆく。

   次の曜日の分を出しにゆくのも楽しみだ。

私の場合は・・なのだけれど、
処分というものをすると、
自分では想像もしていない大きなものが舞い込む。
思いがけないサプライズは、心の豊かさへとつながる。





   もう好きなことだけに満たされて気持ち好く居るのだ。
   自分を信じて、本当の声を聴く・・ということだ。





心身のバランスが取れたみたいだ。





自分がゆっくりと変わってゆく時期というものがある。
時に、辛く苦しい出来事がバネとなる。

“許す”ことなのだと信じていた言動が、
疑いと支離滅裂な答として返ってきた。
仕方のないことなのだとアタマでは理解出来ても、
感情がついてゆかず、
激しい憎しみとトラウマがよみがえる。

今世でもカルマは浄化出来ないのか?と思い、
悲しくなったけれど。・・
“たった今”の感情に過ぎないのだ。
小さな小さな点なのだ。

そう思ったとき、この憎悪はちっぽけなものとなってしまった。

囚われ、振り回されているのは自らなのだと知った。





気づきを得ては、次のステップに悩み、打ちのめされることがある。
再び、なんとシンプルなことに悩んでいたのだろうと気づかされ、
一歩一歩のぼってゆくしか、道はないのだ。
くだることは決してない。

自らの経験からだからこそ、納得できるのだ。







今、大好きなふたつの香り。
毎日蓋を開いては、ひとりうっとり至福のとき。

   今、惹かれる意味があるのかもしれない。
   意図して、歩んでゆこう。

しばらくは、アロマオイルの香りをかぐと頭痛がして、
なかなか受け入れられずにいたのだけれど、
触れてゆくたびに少しずつ気持ちが好くなって、
生活にもどんどんと取り入れるようになった。

   娘たちも自分たちの部屋にディフュージングして使用中。
   フレッシュな香りがお気に入りのよう。

植物界からの素晴らしいギフトだ。







    UNTITLED ...

例えるのなら・・。
なかなか脱皮出来ずにいる自分がもがいている姿。
と言ったところだろうか。

分厚いシャボン玉の中に閉じ込められて、
押しても押しても割れず、
まるでゴム製のようにだ。

私にとっての2度の出産はどちらも、
子供のアタマが下りてきているのになかなか陣痛が強まらなかった。
すぐそこだとウーウーうなりながらクライマックスをスタンバイしているのに、
出てこない。
破水しないので、羊膜を破りますねと言われ、
ようやく強い陣痛が起こる。

   自分の心情が、
   例え話や経験によって、ふむふむと納得。





   どうしたいのかはわかっている。





これまでに、
そういったことが何度か訪れた。
そのたびに不思議とシータヒーリングに出逢う。

   そうしてヒントに出逢う。
   私は癒され、
   次にどうしたいのか見つけることが出来た。





シータヒーリングは、ずいぶん前から知っていたのだけれど、
漠然としていて、
詳しく知りたいという気持ちがわき起こることなく、
私には縁遠いものなのだと、これまた漠然と思っていた。

   そのわりに、なぜだかシータヒーラーさんのブログなど、
   ちゃんとお気に入りにしていたところが、
   興味津々なのではないか。

そんなこんなで数年が経っていたのだけれど、
ここ数日の間に、
シータヒーリングへのモヤにかかった階段が、
うっすらと見えてきた。
そうして、トントン拍子に色々なお話が舞い込んできた。

   必要な事柄は、自然にその時期がやって来て、
   素晴らしいタイミングで大切な方々と巡り合うようになっているらしい。





約10年、夢を叶えてきた。

嬉しいことや楽しいことでいっぱいだったけれど、
自分の直感をスルーしてしまい、ストンと落ちたこともある。
当時は辛いと思えた学びのあとに、チャンスもいただいた。

出逢う方々とのつながりがあってこそであった。

   全てが私の宝物である。





スピードを緩めてみること。
スケジュールの余白を作る勇気。
欲張りにならない気持ちの余裕。
求められる幸せを、しっかりと実感すること。

   忘れていたようだ。





自分を信じられない正体はなんなのか。

   私にはキャパシティがないのだと決めつけているということだ。
   無理をし過ぎて、自分との約束を守られなくなるのでは?と、
   不安を抱く。
   事実、そうなのだったと思う。

それはそうだ。
食べ過ぎていたのだから、
お腹がいっぱいなのだ。

   それでは。
   規則正しい食生活は素晴らしいと心に話しかけてみる。

みるみるうちに、健康的な心と身体を取り戻したら、
自分を大切に出来るようになった。
何が必要で、何を手放せば好いのかが理解出来るようになって来る。
手放した分、新しい情報が舞い込んで来るのだ。

   それが私にとってはヒーリングやセラピーなのだ。
   やってみても好いんだヨと、お許しがおりたようだった。





乗り越えたときの爽快感とかあたたかさを味わってしまったら、
壁が困難であったとしても、
そうであればあるほど、
次はどんな幸せが待っているのだろう!と、前に進めるのだ。








    guardian ...

 

もともとアクセサリーを身につけるのは大好きだった私は、
アンバーのシルバーリングをよく愛用していた。
アンバーは、私にはご縁の深い子らしい。

スモーキークォーツもアンバーも、オーラを保護するクリスタル。
アンバーは樹液が化石化したものなのだけれど、
大昔から魔よけとしても用いられていた。





ある日の出来事。

その日はどうしても、保護のサポートが必要と感じた。
“どの子と一緒に行こうかしら・・”と思って目にとまったのが、
スモーキークォーツだった。

   以前、アゼツライトとのご縁をいただいたときに、
   バイヤーさんからプレゼントされた子。
   ごつごつしているのに、可愛らしさがある。
   イシス、ウィンドウ、レインボウを持つ、愛嬌を感じる子。





しっかりと自分の意見を伝えよう!と思っていたし、
それは家族のためでもあり、何と言っても私自身のためだった。

これまでよく話し合ってきたことを、
ひとつと残すことなく言葉に出来るだろうか・・。
そんな不安な気持ちが半分くらい占めていた。

   “もう今日しかないのだから。”

腹を括るって、こんな心境を言うのかしら・・と思った。
括ったのは、10数年前の離婚を決めたとき以来だったと思う。





括ったつもりだったのだけれど、
私は何をちまよったのか、
その日決断すべきことではない言葉を発し、
少々姉妹を驚かせてしまった。

   思いっきりが良過ぎたかしら・・。

   だってね、どうにもこうにもいたたまれない気持ちになったのだ。
   自由を奪い過ぎるよりも、試してみてもいいんじゃないのかな。

   別の意味で、腹を括ったというワケだ。





その夜、妹と私は父の家に泊まったのだけれど、
私はある一定の場所が気になって仕方がなく、
何度も何度も振り返っては、気のせいかな?と首をかしげる。
“そこに置いてある椅子がそう見えちゃうのね。”なんて、納得してみた。

食事の後片付けをし終わったころ、腰が痛くなり、
今日はずいぶんと忙しかったから、疲れが出ちゃったのだなぁ。
もう年だからだわ〜、ギックリ腰になっちゃったりして!などと妹と笑い、
父に湿布薬をもらい、貼って休むことにした。

しかし。
枕が変わるとこうも眠れないものなのか。
何度も寝返りを打ちながら、
何となく、その日の朝に選んだスモーキークォーツを握って、
無理やりにでも眠ることにした。





翌朝、妹は早朝から出勤だったので、
私は朝食の準備をする。

   父と妹に食事の用意をするのは、
   前回がいつだったかなんて忘れてしまった。
   それぞれが嫁いでしまうと、こういう機会は本当にないのだなぁ。

時間のない妹は、パンを頬張りながらバス停に向かったのだけれど、
昔の父なら、行儀がよろしくない!と厳しく叱っていたところだ。
母もそうだが、どこか微笑ましく見てくれることが多くなった。
大目に見ているというのとも、ちょっと違うとは思うのだけれど。
そこのところ、どういう心境なのか、今度聞いてみたい。





その日の午後は、前日からの疲れで、どうにもこうにもパワーが出ず、
寝不足もあってかボーーッとする時間が長かった。

そんな中、仕事を終えた妹からのメールの内容に驚かされる。
前夜のある“光景”についてだった。

   私たち家族は、川の字になって寝ていたのだけれど、
   真ん中に寝た妹は、
   左横に居る父の横に
   腰の曲がった女性らしき人が座っているのを見かけたらしい。

   誰かしら・・と思いながら眺めていたそうなのだけれど、
   父を心配して様子を見ているようにも見えたそうだ。

メールを読み終えてみて、
同じ時に感じた出来事を思い出していた。

私が気になって仕方がなかった場所が、
女性らしき人が座っていたところであったり、
私の腰の痛みと、その人が腰が曲がっていたことなど、
妹と私の感じ方は違ったけれど、
同じ出来事を共有していたことに気づいた。

私たちの心配がひとつの形になったのかもしれない。
もしくは、本当に父を心配している人の存在かもしれない。





ところで、腰の痛みなのだけれど、その夜だけで、
翌朝から今に至るまで無痛なのだ。

とりあえず、初ギックリ腰は免れたというワケだ。





みんなが父を心配しているには変わらないのだ。








 
  CATEGORY ...

 
  SELECTED ENTRIES ...

 
  ARCHIVES ...